まるはなのみのみ

日記です。ときどき意見や感想。

妥協

"本気ってかっこ悪いものに見えて 言い訳のレパートリーばっか増えて

少し背が伸び 泣くことも減り 透明な心色づき

私は大人になってしまったの" (MinxZone「Diary Note」)

 

近年いやなニュースや情報ばかりが飛び交い、そういったものに鈍感になりつつあるし、その裏側にある真実に目を向けようと懐疑的にすらなりつつある。辺野古に土砂が投入された映像はショックだし、悲しいものだった。それ以上に「全力で埋め立て進める」と言ったとか。「粛々と」とかもっとオブラートに包んだ表現できなかったのだろうか。

小学低学年の頃、ちょうど自然とか生き物とかに目覚めつつあった頃、当時住んでいたところがオオタカの保護活動が盛んな地域だった。そしてそれをボランティアで行っている人たちと知り合いになった。彼らはカッコよく優しく、子供の目にはキラキラ見えた。そんな経験から自然破壊という悪に屈しない大人になろうとその頃思っていた。その純粋な気持ちは悪く無いと今でも思う。自然や生き物が好きな気持ちは今でも変わらないが、いろいろ経験しいろんなことを知り、”透明な心色づき”、仕方ないこともあるということも学んだ。

白か黒か、善か悪か、とすっきり分けられないことは多い。灰色決着ということが、ほとんどだとは思う。その時その時の最善の策がとられるべきで、もし時代遅れになっているのなら、再度検討し1からやり直すことが重要だと思う。特に大型公共事業は事業実施までにお金と時間がかかってしまい、いざ事業を始めようという際には時代遅れになっていることもある。計画を大幅変更したり止めたりすることが出来れば良いのだが、一度あげた拳を引き下げることが出来ないというようなことも実際にはあって、そういった場面に出くわすとため息が出る。逆に、今やるべき事業がいろいろな要因で先延ばしにされる件もあって、そういうことにもガッカリさせられる。

辺野古のすぐ横の海で磯遊びしたという経験だけで言うのも無責任だが、あの辺りは生き物が多くとても良い場所だった。あそこ以外の場所ではダメだったのだろうかと思ってしまう。いろんな角度から検討した結果、あそこが選ばれたのだろうから仕方がないのだと思いたい。アセス書もざっと目を通したが、予測不可能な事象もあったので、継続的に保全措置が行われることが担保されているのだと思いたい。でも、「全力で埋め立て進める」なんて言われたら、折角納得させようとしていた心も折れてしまう。全力で行うべきは、周辺への環境影響を最小限に留めることと地元の人や納得できていない人への最大限の配慮だと思う。アセスメントの基本がそこだと私は教わった。