まるはなのみのみ

日記です。ときどき意見や感想。

セレンディピティー(serendipity)

私は名字からして大変ラッキーそうだが、実は一家全員くじ運はない。宝くじはおろか、懸賞の類に当った記憶はほとんどない。“運”は全く無いと思う。私がこれまで面白い発見をしたり論文が書けたり、虫で食べていけているのは、セレンディピティーに因ると思っている。
最近、M君が海外でもの凄い発見をしたようだが、それはM君がラッキーだったということではなく、彼の経験と努力、そしてそれらを下地にしたセレンディピティーのなせる技だと思う。
何もしなくてもラッキーだったり、採集が上手かったり、そして人生のめぐりあわせが良かったりする人はいると思う。悲しいけど運は平等ではない。しかし腐ることなく弛まぬ努力と継続、そして何事も楽しむこと、これらがセレンディピティーを引き寄せてくるのだと思う。
T君がいろんな人に夢を公言しておくことが必要だと言っていた。これもセレンディピティーを呼び込む1つの方法ではあると思う。私も少し実践してみたところ、実際、思いもよらぬところから声がかかり、自分の行きたかったところに行く機会を最近得ることができた。T君もまた、セレンディピティーを引き寄せるのが上手だ。そういった人は時として、あの人はラッキーだとかいろいろ言われるが、陰の努力と継続、そして物事に紳士的に対峙する姿勢は他人からは見えないことが多いものだ。
以前、U先生(チビゴミの大家)がある雑誌に「偶然に日本に生まれ日本で研究することになったこと」自体が自身のセレンディピティーだったと書かれていた。生物の分類学を日本で行うことの困難さを十分ご存知での話だが、そこまで達観するには私はまだまだ歳と経験が足りないようだ。