まるはなのみのみ

日記です。ときどき意見や感想。

学術雑誌

現在の風潮として、各個人がいま興味があること以外について情報をシャットアウトしているところがあると思う。情報過多な時代で人間の情報処理能力がそんなに変わらないことを考えると仕方ないことだろう。学生時代にある先輩が、「学術雑誌の自分の興味あるところ以外を破り捨てている罰当たりな奴がいた」、と面白おかしく話していたが、今ならそんな人も少なくないかも知れない。それどころか学術雑誌は個々の論文をPDFで収集し読む時代になってしまった。
雑誌を通して読むようなことの必要性を今さら言う気はない。冊子体が無くなり様々な理由でPDFも入手困難な雑誌や論文が今後は出てくるかも知れない、と考えると恐ろしくなる。特に生物分類学にとって過去の論文を収集することは標本収集と同じくらい重要だ。あるヨーロッパの学術雑誌が印刷コストを下げるために完全デジタル化にしたものの、OA化できず今は完全にクローズしている例を知っている。その雑誌のデジタル化した論文を見たい場合、どうしたら良いのか方法が解らない。昆虫では、アリやハチの研究者らがデジタルライブラリーを作成し共有しているらしい。素晴らしい試みだと思うが、継続していくことは可能なのだろうか(余談だが、アリの研究者らは共同作業がとても上手だと思うが、社会性昆虫を研究対象としていることと関係していたりするのだろうか)。デジタル化の流れと逆行するが、冊子体をしっかり収集・保管することも今大切なことかも知れない。
ある研究者が研究のために収集した論文は、その研究者が引退したり逝去した場合どうなるのだろうか。印刷媒体が主流だった頃は、図書館や機関が寄贈受けて整理したり後輩研究者が貰い受けたりして、知識と論文の継承が行われた訳だが、デジタル主体だとそうはいかなくなるかも知れない。PDFファイルの場合、よほど丁寧に整理されていたり検索できるようにされていなければ、他人が集めたものを引き継ぐ気にはなれない。いや、現在の多くの研究分野はそういう継承を必要としていないのかも知れない。少なくとも生物分類学では知識や文献の継承が初心者のスタートアップとしてとても重要でアドバンテージになると思うのだけど。
いろいろ書いたが、デジタル化の現在でも印刷媒体を網羅的に収集・整理する必要性は図書館や機関、そして研究者個人にもあり、加えてPDFも戦略的に収集・整理・管理することが重要だと、最近考えている。