まるはなのみのみ

日記です。ときどき意見や感想。

【書評】 「自然との共生」というウソ

「自然との共生」というウソ 高橋敬一 祥伝社新書 2009
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1週間ほど前に読了していたが、感想を書くのにも悩む位、本書をどう評価したら良いのか判らなくなった。そして今も判らない。ただ読んだということを記録に残しておきたいので書くことにする。本書をもう一度読む気には今のところなっていない。一度ざっと読んだだけなので、もしかすると私の勘違いな面もあるかも知れない。
 
人間は生物や自然、そして地球環境と対峙するとき、謙虚さを忘れてはならない。全体に渡ってそれが滲み出ている文章である。一歩ひいた目線でそれを語っている姿勢にはいろいろ諭される面があった。
そして、人間が自然を管理するなどおこがましく、かつ人間が自然と”共生=共存”するなど到底無理なことなのだと、著者は断言する。自然の力は偉大だし、人間さえ居なければ元に戻るのだと。
はたしてそうなのだろうか?
それは一面的なものでしかないし、断言すぎではないのだろうか?もし本当ならば人間は滅びるしかなさそうだ。
また、自然保護活動やエコツーリズムについても、自己の価値観に基づく行動でしかなく、ノスタルジーや価値観の押し付けになっているとも切りつける。確かにこれらの活動は、自然や周囲の人々に対して謙虚さを忘れがちになってしまう恐れはあるかも知れないが、私は自然保護やエコツーリズムに関わる人が全てそうだと思わないし、情熱を持って真剣に自然と向き合っている人も多いことを知っている。だから私は著者がこのようなことを書いた真意が見えてこない。
私は自然や生物が好きだし、加えて人間も好きだ。完全に”共生”が無理だとは思いたくないし、未来に明るい光を見出させないほどにネガティブな気持ちも持ち合わせてはいない。年齢のせいだろうか。
  
1点、「限界集落」に関する記述があったが(限界集落という言葉は出てこなかったが)、そこについては著者に同意した。前向きな撤退というのは、人間にも自然にも良い結果を生む可能性が高いと思う。

 
私は著者の友人なので、彼の個性や境遇を考えると、彼がどうしてこう考えているのかが何となく判るし、彼ならこのような文章をしたためても許せる気持ちもどこかにある。しかし、文章としてこうやって残ってしまうと何らかの影響を与えてしまうことになるし、この本の文章を読んで"心ある別の友人"が傷付くことも容易に想像できるので、私はこの本を読んで悲しい気持ちにもなった。

 
名も無き同胞(とも)が抹殺されて 価値あるブルジョアが生き残るとするなら 真っ先に死ぬのは この僕なのさ 僕こそ不必要なものだから” 「気球に乗って」THE BOOM