まるはなのみのみ

日記です。ときどき意見や感想。

日常と非日常

生物多様性保全SDGsの各取り組みって、日常の平和がベースなんだよな、とつくづく思う日々。昨日は久しぶりに生協食堂で昼食を食べたら、お茶の提供をやめてペットボトル、スプーンは使い捨てのプラスプーンになっていた。それらがコロナ対策としてどれくらい効果あるか判らないけど、考えてのことなので非難しないし気を遣っていることを評価したい。通勤途中の道端にもマスクごみが多いし、手袋やマスクが海にも漂っていた。悲しいけど仕方ない面もあると思う。早く日常の平和が戻ってくることを祈ってる。

日本人はよく平和ボケしていると言われるが、その言葉が適切かどうかは判らないけど、日常から非日常へのスイッチの切り替えが遅いのは間違いないと思う。以前、インドネシアのデパートの最上階にいるときに大きな地震に襲われた。私を含め日本人は恐怖を感じたがそのままその場にいた。正確には動けなかったというのが正しいかも知れない。しかし周りのインドネシア人はみんな我先にと建物から出て行った。揺れが収まった時には周囲に誰もいないくらいの、本当に素早い行動だった。日本では地震の際に建物から出ることは危険だと教えられているが、インドネシアの建物事情を考えると、彼らの行動の方が正解だろうと、あとで思った。御嶽山の噴火で犠牲者が多く出てしまったのも、非日常へのスイッチの切り替えの判断が遅れたところもあると思う(以前の日記)。いま思い出したが、シンゴジラを見てリアルだなと思ったところの1つとして、逃げ惑う人々もいる一方でちょっと呑気に構えている人も映し出されていて、日本にいきなりゴジラが上陸したらこんな感じなんだろうなと思った。

コロナ渦の渦中で非日常であることは、今はほとんどの人の共通認識になっていると思う。でも、非日常へのスイッチの切り替えが遅かったのではないかとも思う。そして非日常へスイッチを切り替えきれていない人も多いように感じる。

日常が戻ってきた際に、次の非日常への備えとして今の対応を評価・反省できるようにしておかねばならない。そのためにも様々な記録を残すことが重要。日本には「想定外」という便利な言葉があるけど、非日常へのスイッチの切り替えの判断が早ければ想定内に収まることも多い気がする。