まるはなのみのみ

日記です。ときどき意見や感想。

秋田さんのこと

秋田さんに初めてお会いしたのは、私がまだ二十歳そこそこの頃で、三重大学の演習林、平倉の山のなかだった。秋田さんはちょうど月刊むしにオオキノコの採り方について刺激的な記事を書かれていたのでオオキノコ屋だと思っていたが、カミキリも好きだということで、当時はカミキリに狂っていた私は嬉しくて山の中でいろいろ教えて貰った。初対面ながら、いきなり間合いをつめてくるところ、直接的な物言い、若かりし私は最初、秋田さんに苦手意識を持ってしまった。

平倉から戻り研究室で標本を作っていたが、どうも毒瓶を1本落として来たらしいことに気がついた。その頃は大型毒瓶を何本かポケットに突っ込んで使っていたので、森のなかで落としても気が付かなかったのだ。その毒瓶には初めて採った虫がいくつか入っていたはずなのでショックだった。数日後、研究室宛に小包が届いた。中には落とした毒瓶が入っていた。秋田さんは毒瓶の蓋に書いてあったイニシャルだけで私が落としたものだと看破し、送ってくださったのだ。嬉しかった。でも添えてあった手紙にはこう書いてあった。「たいしたものは入っていませんが[注:たいしたものが入っていないから、と書かれていたかも知れない]、君のものだと思いますので送ります。何かいい虫ください。」どひゃー

それ以来、フィールドや学会などで顔をあわせる機会も多く仲良くしていただき、家にもお邪魔することもあったが、最初の印象とエピソードが強すぎて今でも頭があがらない。同世代のN君は秋田家の方向に足を向けて眠れない、とすら言っていた。判る!

今年、ラオスで一緒だった。初めてお会いしてから20年も経つので、毒瓶のエピソードのことは忘れているだろうと思っていたら、よく覚えていた。

「ヤマト(ヒメハナ)とかオオキノコとかちょっといい虫が入っていたね」

その通りだ。私はヤマトヒメハナ(オス)を初めて採ってその毒瓶に入れていたのだった。手紙の「たいしたものは…」は、きっと彼なりの気遣いだったことと、20年も前のことを詳細に覚えていることに驚かされた。

後輩に対して優しく、虫に対してすごく真面目に向き合っている人なのだと思う。いい虫はあまり献上できていないけど、いい虫の標本を結構貰ってしまっている。